修了生より

文学研究者が外交官に

村上 猛

現代文化・公共政策専攻文化交流論分野

大学院には、林芙美子の文学研究がしたくて進学した。

だけど、海外で活動してみたい!との思いも断ち切れず、入学してすぐに休学し、JICA の青年海外協力隊に参加してパラグアイに赴任、そこで2年間活動することになった。パラグアイでの活動を通じて、グローバル化の流れと先住民文化の変容について関心を持ち、帰国後、指導教官の先生方に相談して研究テーマを急きょ変更することになった。

復学後、1年間大学院で研究を進めたが、中南米の人類学について本格的に学びたいと思い、今度は国費留学制度に応募してメキシコのユカタン半島(マヤ文明の人類学研究が盛ん!)にある大学院に留学した。

留学中、パラグアイを再び訪問し、3つの先住民の村で約3か月間のフィールドワークを行った。

灼熱の南米の大地で毎日汗をかきながら聞き取り調査とフィールドノートの書き込みを行い、夜はベッドを外に出して先住民の村(電気がない!)で見上げた満天の星空とバッタの大群の襲撃は、今も忘れることができない。

帰国後、留学で得た知見と情報をもとに、今度こそ本腰を入れて修士論文を書き上げ、苦難の末、なんとか修めた。

大学院を修了した後の進路については、これだけ豊かな経験を積んだこのオレ様ならきっと引く手あまただろうと自信満々で商社をいくつか受けたが、すべてエントリーシートで落ちた。

この先どうしようかと悩んでいたところに、ラテンアメリカ研究の指導教官から、大学院での研究を活かせる仕事として外務省専門調査員という職種があるのを教えてもらい、応募してみることにした。

なんとか合格し、カリブ海の島、ドミニカ共和国の日本国大使館で2年間勤務、その後いったん日本に帰国した後、今度は南米ベネズエラの大使館で同じく専門調査員として約3年間勤務した。

ドミニカ共和国在勤中は、31 万人以上の犠牲者を出した 2010 年のハイチ大地震で邦人救出とハイチ復興オペレーションを経験し(ドミニカ共和国とハイチは同じイスパニョーラ島を2分する国々)、今も混迷を極めるベネズエラ在勤中は、チャベス大統領(当時)の再選と逝去を経験したことが、鮮烈な経験として残っている。

その後私は、大使館で働いていくうちに外交の世界に関心を持つようになり、ベネズエラ在勤中に外務省(専門職)の中途採用に応募して合格した。本官(外務省の正職員)として最初に命じられた勤務先は、なんと再びドミニカ共和国であった。そこで約3年勤務した後、2018 年に日本に帰国、現在霞が関の本省で、国際協力を担当する部署で働いている。

私は模範的な学生ではなかった。ましてや優秀な学生とはほど遠い。林芙美子の文学研究がしたいと言って入学、それが休学を経てパラグアイ先住民の人類学研究に変わり、6年かかってやっと修士論文を大学に提出した。いわば落ちこぼれの学生だ。ある意味詐欺と言われてもおかしくない。そんなことが他の大学で許されるのか、私は知らない。

でも、ウチの大学院ではできた。いま思えば、指導教官の先生方にも迷惑をかけた。きっと手を焼く学生だったと思う。でも、私の突拍子もない考えを真剣に聞いて相談に乗ってくれ、温かく受け入れてくれた。もしかしたら、ウチの大学院、そして私が所属したこの研究科この専攻でなければできなかったかもしれない。リベラルアーツを標榜する(今は知らないが)この大学には、そんな柔軟性と包容力があると思う。

考えてみれば、私が進学した時、この研究科は人文社会科学研究科現代文化・公共政策専攻という名の、新設されて2年目の新しい専攻だった。その後再編があって専攻の名称が変更となり、そして今は、人文社会ビジネス科学学術院人文社会科学研究群人文学学位プログラム現代文化学サブプログラムというすごい名称(履歴書に書くのが大変そう!)に変わった。

いま、時代はものすごい速さで変わり続けている。それがいいことかどうかは別にして、この大学も、そんな時代の流れにあわせて変わり続けてきた。でも、自分の関心のある分野・トピックについて、とことん突き詰めて考えて真実を探求する、という大学の本質はきっと変わっていない。

そうした研究ができるというのは、とても面白く刺激的で、今の私からしたらある意味うらやましいことだ。目的や関心がない者にとって、大学院はきっとつまらないものだろう。大学院はあなたに何もしてくれない。大学院に期待するのではなく、自分の好奇心に期待して、大学院を最大限に利用しよう。たくさんの本を有する図書館、いろんな分野の優秀な先生、面白い授業、緑豊かで広大なキャンパス、そして刺激しあえる仲間たち。きっとあなたの研究のために、そして今後のあなたの人生を豊かにするために、利用できるリソースはここにふんだんにある。

スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチに、「Connecting the dots」という、いまや巷でも有名になった言葉がある。そこで彼は、「先を読んで点と点をつなぐことはできない。できるのは、後から振り返ってつなぐということだけだ。だから君たちは、点と点が将来、どこかでつながると信じるしかない。」と言った。

大学院に進学したとき、私は外交官になりたいなんて全く思っていなかった。そもそも外交官って職業がどんなものか、そんなのどうやったらなれるのか、いちミリも考えたことがなかった。

でも今、私は外交官をしている。林芙美子の文学研究をやりたいと思って大学院に進学し、それがパラグアイ先住民の人類学研究に変わり、そしていま私は、まったく違うことを仕事にしている。わけがわからない話だと思う。自分でもよくわからないくらいだから、きっと他人にはもっとわからないだろう。私はただ、将来への不安を抱えながらも、その時その時を真剣に、できるだけ面白くしようと生きてきただけだ。

だけど今、大学院時代を振り返って、そこから今に至るまでのいくつかの点と点が、不思議な感じでつながっているのがわかる。今なら。そしてその礎となったのがこの大学院だったと、そう思っている。

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