田中みわ子
人文社会科学研究科 現代文化・公共政策専攻 文化交流分野
今からちょうど 20 年前の 2001 年、人文社会科学研究科 現代文化・公共政策専攻 文化交流分野(当時)の 1 期生として大学院に入学しました。大学院に進学したのは、大学の卒業論文でお世話になった先生方のもとで、もっと学びたい、研究してみたいとの思いからでした。
卒業論文で「障害」と「身体」というテーマに取り組みはじめていた私にとって、大学の授業や卒業論文の指導は、新しい言葉や新しい世界との出会いに、心が揺さぶられる日々であったことを今でも鮮明に思い出します。それがときに、考え方や人生の選択を大きく変えてしまうような衝撃となることもあるのでしょう。私もまた、先生方との出会いによって大きく「何か」へと導かれたひとりでした。
卒業論文の相談に、山口惠里子先生の研究室を訪れた日が、すべての始まりだったのかもしれません。現代文化・公共政策専攻(現:現代文化学サブプログラム)は、それぞれの研究テーマがじつに多様であることが特徴でしたので、とても刺激的でしたし、自分のテーマにじっくりと向き合い、深められる恵まれた環境であったと思います。
また、専攻の先生方全員で学生を見守ってくださる雰囲気のなかで、大学院時代を過ごすこともできました。
大学院の授業は、原書の輪読を中心としたもので、言葉の大切さと深さ、学問や研究の面白さと厳しさを身を以て学ぶ忘れられない時間でした。それは生涯の財産です。それまで考えもしなかったことに直面させられ、学び考えるきっかけを与えられたことで、研究を少しずつでも進めることができたのだと思います。
当時の私は、障害のある身体の表現に着目していく過程で、障害のある身体への社会的文化的意味づけと、表現から生まれる意味とのあいだには、大きな隔たりがあるように感じていました。そうした社会の側から意味づけられる身体と、意味を生み出すものとしての身体の関係性とそのありようを追究したいと漠然と考えていました。障害学を軸に、身体文化研究に取り組むことになったのは、ちょうど英米の障害学が日本に紹介され、日本でも障害学会が立ち上がる時期と重なっていたということもあります。
修士論文「障害の身体の『語り』の研究」では、介助者としてお世話になった方との日常的な相互行為場面での身体の「語り」に焦点を当て、身体の「語り」がどのような意味を生んでいるのかを分析しました。
修士論文を書き終えた後、山口惠里子先生のご指導のもと、ロータリークラブの奨学生(当時のロータリー財団国際親善奨学生)として、イギリスのリーズ大学に 2007 年秋から 1 年間留学する機会を得ました。
リーズ大学には障害学センターがあり、イギリス障害学の拠点となっていました。英米の障害学、とりわけイギリスの障害学では、「身体」の位置づけを巡って激しく議論がなされていた経緯があり、それを文献で辿ってはいましたが、そうした議論の生まれる社会的背景や文化的土壌を直接肌で感じなければという思いも強くありました。
また、イギリスのディスアビリティ・アートと呼ばれる実践について、現地調査を試みたいとも考えていました。
遅ればせながらの初めての留学でしたが、同じ専攻には留学経験者や留学する学生が比較的多いことから、様々な助言をいただくことができたことはとても心強く、1 年間という限られた期間でとにかくできるだけのことはしようと、ある意味腹を括っていました。博士課程という戻る場所があったことも大きな支えでした。
リーズ大学では、さまざまな国籍の研究者や大学院生と同じ授業に臨み、学ぶことが多くありました。イギリス障害学のみならず、アメリカの障害学との違いやディスアビリティ・アートの実践について知る大きな機会となったことは、研究の足場を固めていくことに繋がったと思います。ロータリークラブの手厚いサポートもあり、大学を離れて、イギリスの文化に触れる機会が多々あったことも貴重な経験となりました。
帰国後は、博士論文の構想を練り直していくことになりますが、執筆に何年もの時間がかかってしまいました。その間、つくば市にある NPO 法人自然生クラブにも大学院時代やその後を通じて様々なかたちでお世話になりました。自然生クラブより助成いただき、ベルギーのクレアム(知的障害のある人々による芸術団体)での実地調査を実施することもできました。
東京家政大学期限付助手、東京大学先端科学技術研究センターバリアフリー分野特任研究員、筑波大学外国語センター特任研究員の職を経て、2013 年に博士論文『障害の身体におけるコミュニカビリティの研究―芸術と日常の実践を中心に』を提出し、東日本国際大学での現職に至っています。
今振り返ってみると大学院での日々は、それまで知らなかった世界との遭遇に満ちていました。そうした豊かで魅力的な世界に触れたり、様々な世界を垣間見たりすることができるというめまぐるしいほどの刺激のなかにありながら、私はといえば、自分自身の研究テーマについては、方向性も輪郭もなかなか見えず、決められずにいる学生でした。そんな状態のまま、先生方の言葉に自分の小さな問いを重ね合わせて、言葉にならない感覚や衝撃を、少しずつ言葉にしていくことの歓びと難しさ、そして、学ぶことの感激を味わうことができたのは、まさにこの場に身を置いていたからにほかなりません。
現在は現代文化学サブプログラムという新しいプログラムになっていますが、このプログラムでは、それまで想像もしていなかったような「人」や「何か」に出会い、その出会いが、どんな道にも開かれていることを実感できる場所だと、私は思います。本当に何を選んでも、どこから取り組んでも、自分自身の「問いの在り処」を探り当てていくことになると思いますし、そんなスリリングな学びの場は、大学院でなければなかなか得られ難いのではないでしょうか。
私の場合は、卒業論文を終えてはじめてなんだか出発点に辿り着いたような気がして大学院に進み、今に至ります。そのプロセスは、今になると分かるのですが、先生方の道しるべが確かに、遥か高いところにあったのに、うろうろと迂回したり、道に迷ったり、勝手に落とし穴に落ちたりしているといったような、笑いにもならないような道のりでした。
でも、そういう時間を経て、今なお何度も「問いの在り処」に立ち返ることになっています。
指導教官である山口惠里子先生、川那部保明先生、廣瀬浩司先生はじめ、同専攻の先生方、そしてこのような学びの環境のなかで、同じ時間を過ごした学生の皆様には、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
どのようなかたちであれ、その後の歩む道のりの道しるべとなるような「何か」が、この現代文化学サブプログラムで待っていることと、感謝と期待を込めて確信しています。